admin – JASMA https://jasma.org Wed, 27 Dec 2023 08:36:26 +0000 en-US hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.7 https://jasma.org/wp-content/uploads/2024/01/png-clipart-steering-wheel-steering-wheel-removebg-preview-150x150.png admin – JASMA https://jasma.org 32 32 トヨタ「GRカローラ」用本気エアロとエキゾーストが誕生! 佐々木雅弘プロデュースした「GRパーツ」と「GROW Design」のコラボパーツとは https://jasma.org/%e3%83%88%e3%83%a8%e3%82%bf%e3%80%8cgr%e3%82%ab%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%83%a9%e3%80%8d%e7%94%a8%e6%9c%ac%e6%b0%97%e3%82%a8%e3%82%a2%e3%83%ad%e3%81%a8%e3%82%a8%e3%82%ad%e3%82%be%e3%83%bc%e3%82%b9%e3%83%88.html Wed, 29 Nov 2023 02:33:45 +0000 https://jasma.org/%e3%83%88%e3%83%a8%e3%82%bf%e3%80%8cgr%e3%82%ab%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%83%a9%e3%80%8d%e7%94%a8%e6%9c%ac%e6%b0%97%e3%82%a8%e3%82%a2%e3%83%ad%e3%81%a8%e3%82%a8%e3%82%ad%e3%82%be%e3%83%bc%e3%82%b9%e3%83%88.html 佐々木選手が開発した機能性を追求するためのパーツ
台数限定販売のクルマということもあって、GRカローラはGRパーツのラインアップが極めて少ない。不満に感じているオーナーの皆さんも少なからずいることだろう。そんなGRカローラオーナーの方に朗報だ。なんとGRパーツとGROW Designがコラボレーションしたパーツが近日中に発売されることになった。

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全国のディーラーで購入できるコラボパーツ

GROW Designというのは、GRドライバーの佐々木雅弘さんがプロデュースしているパーツブランドである。GRパーツとGROW Designのコラボということは、つまり佐々木さんがプロデュースしたパーツをGR Garageなどの販売店で購入することができるよう

コラボパーツはエアロパーツ一式とエキゾーストシステムのみ。スプリングは“MASAスペック”として、GROW Designブランドから発売される。コラボパーツは、2023年12月1日から受注開始。2024年1月から順次製品が届く予定だという。

サーキットテストを重ねて納得いくまで開発したパーツ

すべてのパーツは、佐々木さんがサーキットでテストをして、納得いくまで開発を行ったうえで発売される。エアロもマフラーも、スタイリッシュなパーツであることは言うまでもないが、機能性についても折り紙付きなので期待して良いだろう。GRカローラオーナーのみなさんには、このコラボパーツに注目しておいていただきたい。

■GR PARTS × GROW Design

・オーバーフェンダー 価格:7万4800円(素地)/9万6800円(塗装済み)カラー設定4色:黒(219)、メタル(1L5)、白(040)、白(089)
・サイドディフューザー 価格:7万7000円(素地)9万9000円(塗装済み)
・フロントディフューザー 価格:7万7000円(素地)9万9000円(塗装済み)
・トランクゲートスポイラー 価格:4万4000円(素地)6万6000円(塗装済み)
・リアウイング 価格:13万2000円(素地)15万4000円(塗装済み)
・リアディフューザー 価格:8万8000円(素地)11万円(塗装済み)
・GR PARTS×GROW Design×FGK 価格:28万500円

になるということなのだ。

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アバルト「124スパイダー」でサーキットに目覚める! 装着パーツは数しれず、肝心のタイムはといえば… https://jasma.org/%e3%82%a2%e3%83%90%e3%83%ab%e3%83%88%e3%80%8c124%e3%82%b9%e3%83%91%e3%82%a4%e3%83%80%e3%83%bc%e3%80%8d%e3%81%a7%e3%82%b5%e3%83%bc%e3%82%ad%e3%83%83%e3%83%88%e3%81%ab%e7%9b%ae%e8%a6%9a%e3%82%81.html Wed, 29 Nov 2023 02:30:04 +0000 https://jasma.org/%e3%82%a2%e3%83%90%e3%83%ab%e3%83%88%e3%80%8c124%e3%82%b9%e3%83%91%e3%82%a4%e3%83%80%e3%83%bc%e3%80%8d%e3%81%a7%e3%82%b5%e3%83%bc%e3%82%ad%e3%83%83%e3%83%88%e3%81%ab%e7%9b%ae%e8%a6%9a%e3%82%81.html チャオイタリア2023で走っていたアバルト124スパイダー
2023年10月22日(日)に兵庫県のセントラルサーキットで開催された「Ciao Italia 2023」はイタリア車限定のサーキットイベント。定番ヒストリックカーから最新のスーパーカーまで、年式もメイクスも多様なモデル187台がエントリーした一大イベントの会場から、気になるクルマのオーナーにお話を伺ってみた。

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サーキット走行に目覚めてカスタムが加速

ひと目見て、かなり手が入れられていることが分かる2017年式アバルト「124スパイダー」で、サーキット走行を楽しんでいた宮宗 功さん。最初はドレスアップの方向からスタートしたそうだが、サーキット走行に目覚めてからさらに手を入れるペースがスピードアップしていったという。ちなみにホームサーキットはイベントが行われたセントラルサーキットや鈴鹿サーキット、岡山国際サーキットにも足を伸ばすこともあるそうだ。

「最初はタイヤやら車高調やらスポイラー関係かな。それからサーキット行くようになってロールバー付けたり、出たら買い、出たら買いで必要なやつをどんどん付けていって。エンジンだけはあんまり触らんほうがいいと言いはるから、足まわりとかに手をいれる方がいいということで、そっちの方に」

パソコンやミーティングでパーツをセレクト

さまざまな部分に手を入れているため、全ては覚えていないという。分かる範囲で教えていただいただけでも、RK Designボンネット(加工)、TWSホイール、フロントフェンダーに穴を空けプリンターで製作したスクープをセット、グリル、アメリカ製のマフラー、デフィの追加メーター、クイックシフターなどなど、かなり広範囲に手が入れられている。ところでこういったパーツは、どうやってセレクトしているのだろうか?

「ショップの方から勧められることもあれば、パソコンやなんや見てあれええなこれええなと。それと同じクルマの集まりに行ったりとかしたら、あれ俺も付けてみようかなと。でも最近はもうお金をかけてなくて、逆に外していってるくらいですわ。ちょっと大きなウイングが付いてたんですけど、けっこう目方もあったし古なってカーボンがめくれたりしてたから。もうサーキットを走っとったら消耗品買うだけで大変で」

まだまだ乗り続けるサーキット仕様車

アバルト124スパイダーはほぼサーキット用ということで、他にもクルマを所有しておりその買い替えのサイクルは早いという宮宗さんだが、この124スパイダーだけは当分乗り換える気はないという。

「まあ、1400ccクラスのターボやけれど、これ以上大きうなったらもう僕らの年やったらなかなか難しいですからね、サーキット走ってるとタイムとかの目標もあるから。でも最初はどんどんタイムが縮まっていって喜んで頑張りよったけれど、今はもう下がっていく一方やから(笑)」

奥様に手伝ってもらいながら、クルマ中心のインスタもアップしているという宮宗さん。そのインスタには、今後もこのアバルト124スパイダーが登場することになるのだろう。

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メルセデス・ベンツの「いま」を伝えるワンメイク雑誌。最新モデルからカスタムのトレンドまで、全方位的に情報を網羅、配信します https://jasma.org/%e3%83%a1%e3%83%ab%e3%82%bb%e3%83%87%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%83%99%e3%83%b3%e3%83%84%e3%81%ae%e3%80%8c%e3%81%84%e3%81%be%e3%80%8d%e3%82%92%e4%bc%9d%e3%81%88%e3%82%8b%e3%83%af%e3%83%b3%e3%83%a1%e3%82%a4.html Mon, 27 Nov 2023 07:37:16 +0000 https://jasma.org/%e3%83%a1%e3%83%ab%e3%82%bb%e3%83%87%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%83%99%e3%83%b3%e3%83%84%e3%81%ae%e3%80%8c%e3%81%84%e3%81%be%e3%80%8d%e3%82%92%e4%bc%9d%e3%81%88%e3%82%8b%e3%83%af%e3%83%b3%e3%83%a1%e3%82%a4.html ボディの空力パーツには大きな力が注がれていた
2023年10月最後の週末に富士スピードウェイで行われた「箱車の祭典2023」では、多くのツーリング・レースカーが集まり国際コースを元気に走り回っていました。その1台1台を紹介するコラム。第1回目の今回は、1990~1991年にDTMのチャンピオンとなったメルセデス・ベンツ「190E 2.5 16 Evo.II DTM」を紹介します。

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「最強のハコ車レース」を目指したDTMの第1期に大活躍

メルセデス・ベンツ190E 2.5 16 Evo.II DTMが活躍する舞台となったのは「DTM」と呼ばれるドイツのツーリングカーレースで、日本国内でもレースファンやツーリングカー・マニアに人気のレースシリーズとなっています。

しかしその実態には大きな紆余曲折があり、1984年から1996年までの第1期と、2000年からの第2期に大きく分かれています。そして第1期の1993年からFIAのクラス1規定を導入し、日本で開催されているSUPER GTとコラボしていた第2期の一時期には「最強のハコ車レース」として世界中から大きく注目を浴びていました。

その後現在では少し沈静化し、FIA-GT3とFIA-GT4によるレースシリーズとなっています。なお、第1期のDTMは「Deutsche Tourenwagen Meisterschaft」の略称で第2期のDTMは「Deutsche Tourenwagen Masters」の略称ですが、いずれもドイツ・ツーリングカー選手権と訳されています。

クラス1規定が導入される前、1984年から1992年までのDTMは1980年代から世界中でツーリングカーレースの主流となっていたグループA規定で行われていました。当初は1600cc以下、1601cc~2500cc、そして2501cc以上の3クラスが混走して戦うもので、普通に考えれば排気量の大きな2501cc以上のクラス、例えばBMW「635CSi」やローバー「ビテス」、あるいはボルボ「240ターボ」やアウディ「V8クワトロ」といったクルマが優勝を飾るのですが、時には1601cc~2500ccクラスのBMW「M3」が勝つこともありました。

こうしたグループA時代のDTMにデビューした「190E」は、当初は190E 2.3 16で戦っていましたが、190E 2.5 16 Evo、そして1990年シーズンの中盤から190E 2.5 16 Evo.IIを投入すると一気にポテンシャルをアップしてトップコンテンダーの仲間入りを果たします。そして1991年にはクラウス・ルドヴィクがドライバーランキングで2位に入ると同時にこのシーズンから制定されたマニュファクチャラータイトルを手に入れました。

さらに翌1992年にはマニュファクチャラータイトルで連覇を果たすとともに、ルドヴィクがチャンピオンに輝き、見事ダブルタイトルを獲得。ドライバーランキングトップ3(ルドヴィク、クッルト・シーム、ベルント・シュナイダー)を独占。グループAのラストシーズンに有終の美を飾っています。

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大阪・中之島の公道を「フェラーリ」や「ランボ」のレーシングマシンが激走! サーキット専用車がド迫力エキゾーストノートを響かせた白昼イベントとは? https://jasma.org/%e5%a4%a7%e9%98%aa%e3%83%bb%e4%b8%ad%e4%b9%8b%e5%b3%b6%e3%81%ae%e5%85%ac%e9%81%93%e3%82%92%e3%80%8c%e3%83%95%e3%82%a7%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%aa%e3%80%8d%e3%82%84%e3%80%8c%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%9c.html Mon, 27 Nov 2023 07:36:16 +0000 https://jasma.org/%e5%a4%a7%e9%98%aa%e3%83%bb%e4%b8%ad%e4%b9%8b%e5%b3%b6%e3%81%ae%e5%85%ac%e9%81%93%e3%82%92%e3%80%8c%e3%83%95%e3%82%a7%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%aa%e3%80%8d%e3%82%84%e3%80%8c%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%9c.html サーキットでも滅多に見られない勇姿に老若男女から歓声!
2023年11月23日(木・祝)および、25日(土)に大阪市中央公会堂の近隣エリアにて「NAKANOSHIMA CIRCUIT」が開催された。23日には約100台のスーパーカーを展示。フェラーリやランボルギーニ、マクラーレンといった世界の名だたるハイパフォーマンスカーが一同集結し、多くの来場者の視線を奪ったのだが、25日にはスーパーマシンがデモンストレーションラン(以下デモラン)を行うパフォーマンスを披露。世界から集まったファンたちが迫力のエキゾーストノートに酔いしれた。

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大阪来てなキャンペーン」の盛り上げに

11月25日(土)、快晴に見舞われた大阪府・大阪市に位置する中之島。冬の肌寒さもどこ吹く風、「NAKANOSHIMA CIRCUIT」が開催された中之島公会堂周辺には早朝より多くの見物客が集まった

「NAKANOSHIMA CIRCUIT」は、国内外から大阪を訪れる人々に府内での滞在や周遊を楽しんでもらうことを目的とした「大阪来てなキャンペーン(構成団体:大阪府、大阪市、公益財団法人大阪観光局)」が主催するイベントのひとつ。25日は、レーシングカー6台のデモランが行われるということで、世界中から多くのスーパーカーファンが訪れたのだ。

世界で32台の超スーパーカーも走った!

デモランした顔ぶれはフェラーリ「599XX EVO」をはじめ、マクラーレン「セナGTR」やアウディ「R8 LMS」、ランボルギーニ「ウラカンSTO」フェラーリ「488GTE」など、スーパーカーの域を超えた超ハイパフォーマンス車や純レーシングカーばかり。

大阪市立中央公会堂から中之島通を往復するのが今回のルート。決して距離は長くないものの、徐々にタイヤが温まるにつれてドライバーのアクセル開度は高まり、周回ごとに甲高いサウンドを轟かせていた。

なかには世界で32台しか生産されていないフェラーリ「FXX K Evo」も走行。日常では絶対に見ることのできない実車と美麗なエキゾーストノートに、ギャラリーから大きな歓声が沸いたのである。

新旧86も集った「中之島アニメBOX」も併催

期間中は、大阪市中央公会堂にて「中之島アニメBOX」も開催。屋外には「MFゴースト」のトヨタ86と「頭文字D」のハチロクが並べられたほか、展示室内では「進撃の巨人」の10周年特別展示が行われるなど、人気のポップカルチャーを垣間見ることができた。

屈指のビジネス街として知られる中之島に多くのスーパーカーが集結したことは異例である。さらに”超”が付くほどのレーシングカーを公道を走らせるという成果も然り。クルマ好きでなくても刺激的な2日間となったはずであり、官民一体となって実現させたのも大阪らしく、素晴らしい試みだったといえるだろう。

なお、2025年に開催される大阪・関西万博の機運醸成につなげるべく、今後も府内で各種イベントを予定。「大阪来てなキャンペーン」の概要や詳細はホームページでチェックしてほしい。

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「好きなのに乗っていいよ!」「じゃあ、フィアット8Vで!」博物館の貴重なクルマを極東のジャーナリストに預ける懐の深さよ【クルマ昔噺】 https://jasma.org/%e3%80%8c%e5%a5%bd%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%ae%e3%81%ab%e4%b9%97%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%84%e3%82%88%ef%bc%81%e3%80%8d%e3%80%8c%e3%81%98%e3%82%83%e3%81%82%e3%80%81%e3%83%95%e3%82%a3%e3%82%a2-4.html Sun, 26 Nov 2023 13:20:31 +0000 https://jasma.org/%e3%80%8c%e5%a5%bd%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%ae%e3%81%ab%e4%b9%97%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%84%e3%82%88%ef%bc%81%e3%80%8d%e3%80%8c%e3%81%98%e3%82%83%e3%81%82%e3%80%81%e3%83%95%e3%82%a3%e3%82%a2-4.html 博物館のクルマを日本のいちジャーナリストに預けてしまう懐の深さを痛感
モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。第13回目はチェントロ・ストリコ・フィアットで、出会ったフィアット「8V」を振り返ってもらいました。

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貴重な8Vに試乗することができた

モータージャーナリストになって初の大仕事と言えるのが、当時のカースタイリング出版から刊行した世界の自動車博物館シリーズである。僅か3冊を出版して打ち止めになってしまったのは残念だったが、自分自身にとっても今となっては貴重な資料となっている。実は出版に至らなかった博物館もたくさんある。その一つがチェントロ・ストリコ・フィアットというフィアットの博物館だ。

ここを訪れたのは1979年だったように記憶する。取材のため事前にアポを取っていたから、撮影やインタビューなど実にスムーズであった。はじめのうちはわざわざホテルまでの送迎付き。そのクルマが何と当時の130クーペだったから、大喜びであった。2日目以降は131ディーゼルを貸してもらったから、休みの時などは遠出もした。

取材の最後に当時の館長から思わぬ提案があった。

「どれでも好きなクルマに乗せてあげるから言いなさい」と。

そんな素敵なオファーを受けないはずもなく、返す言葉で「それならメフィストフェレスに乗せてください」と頼んでみた。すると、「いや、あれはダメだ。あれは仮ナンバーが取れないから、仮ナンバーの取れるクルマにしてくれ」とのこと。

そこでお願いしたのがフィアット8Vであった。すると館長は「わかった。他には?」と。

今度はこちらが「?」

えっ? 他にも乗っていいの?? という感じであった。そこで今度は「じゃあ、アバルト124スパイダーでお願いします」と頼んだ。というわけでフィアットの博物館で思いがけず、2台の貴重なクルマに乗ることになったわけである。

フィアット8Vは戦後のフィアットにとって、かなり挑戦的なプロジェクトだったように感じる。当初はアメリカ人に受けるクルマを作ろうとしたようだが、それはセダンであった。そしてその開発の任を受けたのがダンテ・ジアコーザ。戦前にフィアットに入社し、トポリーノに始まり、当時のフィアットの中核をなすクルマを次々と作り上げた名エンジニアである。

しかも彼はメカニズムの設計にとどまらず、ボディデザインまでしてしまうところが凄いところで、フィアット1400などはその代表格。そしてその1400こそ、フィアット初のモノコック構造を持ったフラッシュサーフェスのモダンなクルマであり、それがアメリカ人に受けるクルマとして本来V8エンジンを搭載してアメリカに輸出されるはずのクルマであった。

しかし、出来上がったのは1.4Lの4気筒エンジンを搭載するミッドサイズセダンであった。とはいえ、V8エンジン搭載のプロジェクトが死に絶えたわけではなく、ダンテ・ジアコーザが設計したタイプ104と呼ばれたV8エンジンとタイプ106と呼ばれたシャシーは、フェラーリやマセラティに挑戦すべく、異なるプロジェクトとしてスタート。こうして完成したのが8Vだったのである。

中低速トルクがない8Vに手こずりながらも……

8Vとなった車名の由来は元来ストレートにV8と行きたかったところ、そのネーミングは当時フォードによって登録されていて使えなかったため、ひっくり返したといわれる。そしてフィアットらしいといえばフィアットらしく、排気量は小さく2Lに収めた。V8のアングルは70度、ウェーバーのツインチョークキャブを2基搭載し、初期型のパワーは105hpだったという。

博物館にあったのはどうやらこの仕様のようだった。合計114台(しか作られていない)が生産され、そのうち34台がフィアットのスペシャルボディ・デパートメントによるもので、デザインは当時フィアットのデザインディレクターだった、ファビオ・ルイジ・ラピによるもの。30台がザガートによって架装され、他にもヴィニャーレやギアなども異なるデザインのボディに仮装している

さて、このクルマ、「明日博物館の前に置いておくから」と言われ、翌日行ってみると本当に正面玄関の前に駐車されていた。同じくアバルト124スパイダーもである。そして手始めにというか最初に乗ったのがこのクルマだった。

行先はトリノヴァレンティノ公園。流石に古いクルマだし、博物館の展示車だしということで恐る恐るのドライブだったのだが、隣に乗るある意味お目付け役のイタリアンがとにかく飛ばせという。

バレンティノ公園までは結構な山坂があるから必然的に引っ張る必要があるのだが、如何せん2LのV8は中低速トルクがまるでない。だから早めのシフトアップではすぐにエンジンがぐずり始める。それを知っていて隣のイタリアンは「presto! presto!」と連発するのである。まあ意味としては「飛ばせ!」である。

挙句の果てにはシフトアップしようとする僕の右手を抑えにかかったりしていたので、やはり回転は上げないと駄目だったようだ。結局5000rpmあたりまで上げると調子よく走っていた。

実はこのクルマ、フィアットの公式な博物館のサイトを見たら、2012年にミレミリアを走っていてその時ドライブしたのはなんと、当時のFCA会長、ジョン・エルカン氏だったという。彼よりも先にこのクルマに乗れたというわけで、博物館のクルマを日本のいちジャーナリストに預けてしまう懐の深さを痛感したという次第である。

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「好きなのに乗っていいよ!」「じゃあ、フィアット8Vで!」博物館の貴重なクルマを極東のジャーナリストに預ける懐の深さよ【クルマ昔噺】 https://jasma.org/%e3%80%8c%e5%a5%bd%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%ae%e3%81%ab%e4%b9%97%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%84%e3%82%88%ef%bc%81%e3%80%8d%e3%80%8c%e3%81%98%e3%82%83%e3%81%82%e3%80%81%e3%83%95%e3%82%a3%e3%82%a2-3.html Sun, 26 Nov 2023 13:20:31 +0000 https://jasma.org/%e3%80%8c%e5%a5%bd%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%ae%e3%81%ab%e4%b9%97%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%84%e3%82%88%ef%bc%81%e3%80%8d%e3%80%8c%e3%81%98%e3%82%83%e3%81%82%e3%80%81%e3%83%95%e3%82%a3%e3%82%a2-3.html 博物館のクルマを日本のいちジャーナリストに預けてしまう懐の深さを痛感
モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。第13回目はチェントロ・ストリコ・フィアットで、出会ったフィアット「8V」を振り返ってもらいました。

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貴重な8Vに試乗することができた

モータージャーナリストになって初の大仕事と言えるのが、当時のカースタイリング出版から刊行した世界の自動車博物館シリーズである。僅か3冊を出版して打ち止めになってしまったのは残念だったが、自分自身にとっても今となっては貴重な資料となっている。実は出版に至らなかった博物館もたくさんある。その一つがチェントロ・ストリコ・フィアットというフィアットの博物館だ。

ここを訪れたのは1979年だったように記憶する。取材のため事前にアポを取っていたから、撮影やインタビューなど実にスムーズであった。はじめのうちはわざわざホテルまでの送迎付き。そのクルマが何と当時の130クーペだったから、大喜びであった。2日目以降は131ディーゼルを貸してもらったから、休みの時などは遠出もした。

取材の最後に当時の館長から思わぬ提案があった。

「どれでも好きなクルマに乗せてあげるから言いなさい」と。

そんな素敵なオファーを受けないはずもなく、返す言葉で「それならメフィストフェレスに乗せてください」と頼んでみた。すると、「いや、あれはダメだ。あれは仮ナンバーが取れないから、仮ナンバーの取れるクルマにしてくれ」とのこと。

そこでお願いしたのがフィアット8Vであった。すると館長は「わかった。他には?」と。

今度はこちらが「?」

えっ? 他にも乗っていいの?? という感じであった。そこで今度は「じゃあ、アバルト124スパイダーでお願いします」と頼んだ。というわけでフィアットの博物館で思いがけず、2台の貴重なクルマに乗ることになったわけである。

フィアット8Vは戦後のフィアットにとって、かなり挑戦的なプロジェクトだったように感じる。当初はアメリカ人に受けるクルマを作ろうとしたようだが、それはセダンであった。そしてその開発の任を受けたのがダンテ・ジアコーザ。戦前にフィアットに入社し、トポリーノに始まり、当時のフィアットの中核をなすクルマを次々と作り上げた名エンジニアである。

しかも彼はメカニズムの設計にとどまらず、ボディデザインまでしてしまうところが凄いところで、フィアット1400などはその代表格。そしてその1400こそ、フィアット初のモノコック構造を持ったフラッシュサーフェスのモダンなクルマであり、それがアメリカ人に受けるクルマとして本来V8エンジンを搭載してアメリカに輸出されるはずのクルマであった。

しかし、出来上がったのは1.4Lの4気筒エンジンを搭載するミッドサイズセダンであった。とはいえ、V8エンジン搭載のプロジェクトが死に絶えたわけではなく、ダンテ・ジアコーザが設計したタイプ104と呼ばれたV8エンジンとタイプ106と呼ばれたシャシーは、フェラーリやマセラティに挑戦すべく、異なるプロジェクトとしてスタート。こうして完成したのが8Vだったのである。

中低速トルクがない8Vに手こずりながらも……

8Vとなった車名の由来は元来ストレートにV8と行きたかったところ、そのネーミングは当時フォードによって登録されていて使えなかったため、ひっくり返したといわれる。そしてフィアットらしいといえばフィアットらしく、排気量は小さく2Lに収めた。V8のアングルは70度、ウェーバーのツインチョークキャブを2基搭載し、初期型のパワーは105hpだったという。

博物館にあったのはどうやらこの仕様のようだった。合計114台(しか作られていない)が生産され、そのうち34台がフィアットのスペシャルボディ・デパートメントによるもので、デザインは当時フィアットのデザインディレクターだった、ファビオ・ルイジ・ラピによるもの。30台がザガートによって架装され、他にもヴィニャーレやギアなども異なるデザインのボディに仮装している

さて、このクルマ、「明日博物館の前に置いておくから」と言われ、翌日行ってみると本当に正面玄関の前に駐車されていた。同じくアバルト124スパイダーもである。そして手始めにというか最初に乗ったのがこのクルマだった。

行先はトリノヴァレンティノ公園。流石に古いクルマだし、博物館の展示車だしということで恐る恐るのドライブだったのだが、隣に乗るある意味お目付け役のイタリアンがとにかく飛ばせという。

バレンティノ公園までは結構な山坂があるから必然的に引っ張る必要があるのだが、如何せん2LのV8は中低速トルクがまるでない。だから早めのシフトアップではすぐにエンジンがぐずり始める。それを知っていて隣のイタリアンは「presto! presto!」と連発するのである。まあ意味としては「飛ばせ!」である。

挙句の果てにはシフトアップしようとする僕の右手を抑えにかかったりしていたので、やはり回転は上げないと駄目だったようだ。結局5000rpmあたりまで上げると調子よく走っていた。

実はこのクルマ、フィアットの公式な博物館のサイトを見たら、2012年にミレミリアを走っていてその時ドライブしたのはなんと、当時のFCA会長、ジョン・エルカン氏だったという。彼よりも先にこのクルマに乗れたというわけで、博物館のクルマを日本のいちジャーナリストに預けてしまう懐の深さを痛感したという次第である。

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「好きなのに乗っていいよ!」「じゃあ、フィアット8Vで!」博物館の貴重なクルマを極東のジャーナリストに預ける懐の深さよ【クルマ昔噺】 https://jasma.org/%e3%80%8c%e5%a5%bd%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%ae%e3%81%ab%e4%b9%97%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%84%e3%82%88%ef%bc%81%e3%80%8d%e3%80%8c%e3%81%98%e3%82%83%e3%81%82%e3%80%81%e3%83%95%e3%82%a3%e3%82%a2-2.html Sun, 26 Nov 2023 13:20:31 +0000 https://jasma.org/%e3%80%8c%e5%a5%bd%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%ae%e3%81%ab%e4%b9%97%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%84%e3%82%88%ef%bc%81%e3%80%8d%e3%80%8c%e3%81%98%e3%82%83%e3%81%82%e3%80%81%e3%83%95%e3%82%a3%e3%82%a2-2.html 博物館のクルマを日本のいちジャーナリストに預けてしまう懐の深さを痛感
モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。第13回目はチェントロ・ストリコ・フィアットで、出会ったフィアット「8V」を振り返ってもらいました。

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貴重な8Vに試乗することができた

モータージャーナリストになって初の大仕事と言えるのが、当時のカースタイリング出版から刊行した世界の自動車博物館シリーズである。僅か3冊を出版して打ち止めになってしまったのは残念だったが、自分自身にとっても今となっては貴重な資料となっている。実は出版に至らなかった博物館もたくさんある。その一つがチェントロ・ストリコ・フィアットというフィアットの博物館だ。

ここを訪れたのは1979年だったように記憶する。取材のため事前にアポを取っていたから、撮影やインタビューなど実にスムーズであった。はじめのうちはわざわざホテルまでの送迎付き。そのクルマが何と当時の130クーペだったから、大喜びであった。2日目以降は131ディーゼルを貸してもらったから、休みの時などは遠出もした。

取材の最後に当時の館長から思わぬ提案があった

「どれでも好きなクルマに乗せてあげるから言いなさい」と。

そんな素敵なオファーを受けないはずもなく、返す言葉で「それならメフィストフェレスに乗せてください」と頼んでみた。すると、「いや、あれはダメだ。あれは仮ナンバーが取れないから、仮ナンバーの取れるクルマにしてくれ」とのこと。

そこでお願いしたのがフィアット8Vであった。すると館長は「わかった。他には?」と。

今度はこちらが「?」

えっ? 他にも乗っていいの?? という感じであった。そこで今度は「じゃあ、アバルト124スパイダーでお願いします」と頼んだ。というわけでフィアットの博物館で思いがけず、2台の貴重なクルマに乗ることになったわけである。

フィアット8Vは戦後のフィアットにとって、かなり挑戦的なプロジェクトだったように感じる。当初はアメリカ人に受けるクルマを作ろうとしたようだが、それはセダンであった。そしてその開発の任を受けたのがダンテ・ジアコーザ。戦前にフィアットに入社し、トポリーノに始まり、当時のフィアットの中核をなすクルマを次々と作り上げた名エンジニアである。

しかも彼はメカニズムの設計にとどまらず、ボディデザインまでしてしまうところが凄いところで、フィアット1400などはその代表格。そしてその1400こそ、フィアット初のモノコック構造を持ったフラッシュサーフェスのモダンなクルマであり、それがアメリカ人に受けるクルマとして本来V8エンジンを搭載してアメリカに輸出されるはずのクルマであった。

しかし、出来上がったのは1.4Lの4気筒エンジンを搭載するミッドサイズセダンであった。とはいえ、V8エンジン搭載のプロジェクトが死に絶えたわけではなく、ダンテ・ジアコーザが設計したタイプ104と呼ばれたV8エンジンとタイプ106と呼ばれたシャシーは、フェラーリやマセラティに挑戦すべく、異なるプロジェクトとしてスタート。こうして完成したのが8Vだったのである。

中低速トルクがない8Vに手こずりながらも……

8Vとなった車名の由来は元来ストレートにV8と行きたかったところ、そのネーミングは当時フォードによって登録されていて使えなかったため、ひっくり返したといわれる。そしてフィアットらしいといえばフィアットらしく、排気量は小さく2Lに収めた。V8のアングルは70度、ウェーバーのツインチョークキャブを2基搭載し、初期型のパワーは105hpだったという。

博物館にあったのはどうやらこの仕様のようだった。合計114台(しか作られていない)が生産され、そのうち34台がフィアットのスペシャルボディ・デパートメントによるもので、デザインは当時フィアットのデザインディレクターだった、ファビオ・ルイジ・ラピによるもの。30台がザガートによって架装され、他にもヴィニャーレやギアなども異なるデザインのボディに仮装している

さて、このクルマ、「明日博物館の前に置いておくから」と言われ、翌日行ってみると本当に正面玄関の前に駐車されていた。同じくアバルト124スパイダーもである。そして手始めにというか最初に乗ったのがこのクルマだった。

行先はトリノヴァレンティノ公園。流石に古いクルマだし、博物館の展示車だしということで恐る恐るのドライブだったのだが、隣に乗るある意味お目付け役のイタリアンがとにかく飛ばせという。

バレンティノ公園までは結構な山坂があるから必然的に引っ張る必要があるのだが、如何せん2LのV8は中低速トルクがまるでない。だから早めのシフトアップではすぐにエンジンがぐずり始める。それを知っていて隣のイタリアンは「presto! presto!」と連発するのである。まあ意味としては「飛ばせ!」である。

挙句の果てにはシフトアップしようとする僕の右手を抑えにかかったりしていたので、やはり回転は上げないと駄目だったようだ。結局5000rpmあたりまで上げると調子よく走っていた。

実はこのクルマ、フィアットの公式な博物館のサイトを見たら、2012年にミレミリアを走っていてその時ドライブしたのはなんと、当時のFCA会長、ジョン・エルカン氏だったという。彼よりも先にこのクルマに乗れたというわけで、博物館のクルマを日本のいちジャーナリストに預けてしまう懐の深さを痛感したという次第である。

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モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。第13回目はチェントロ・ストリコ・フィアットで、出会ったフィアット「8V」を振り返ってもらいました。

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貴重な8Vに試乗することができた

モータージャーナリストになって初の大仕事と言えるのが、当時のカースタイリング出版から刊行した世界の自動車博物館シリーズである。僅か3冊を出版して打ち止めになってしまったのは残念だったが、自分自身にとっても今となっては貴重な資料となっている。実は出版に至らなかった博物館もたくさんある。その一つがチェントロ・ストリコ・フィアットというフィアットの博物館だ。

ここを訪れたのは1979年だったように記憶する。取材のため事前にアポを取っていたから、撮影やインタビューなど実にスムーズであった。はじめのうちはわざわざホテルまでの送迎付き。そのクルマが何と当時の130クーペだったから、大喜びであった。2日目以降は131ディーゼルを貸してもらったから、休みの時などは遠出もした。

取材の最後に当時の館長から思わぬ提案があった。

「どれでも好きなクルマに乗せてあげるから言いなさい」と。

そんな素敵なオファーを受けないはずもなく、返す言葉で「それならメフィストフェレスに乗せてください」と頼んでみた。すると、「いや、あれはダメだ。あれは仮ナンバーが取れないから、仮ナンバーの取れるクルマにしてくれ」とのこと。

そこでお願いしたのがフィアット8Vであった。すると館長は「わかった。他には?」と。

今度はこちらが「?」

えっ? 他にも乗っていいの?? という感じであった。そこで今度は「じゃあ、アバルト124スパイダーでお願いします」と頼んだ。というわけでフィアットの博物館で思いがけず、2台の貴重なクルマに乗ることになったわけである。

フィアット8Vは戦後のフィアットにとって、かなり挑戦的なプロジェクトだったように感じる。当初はアメリカ人に受けるクルマを作ろうとしたようだが、それはセダンであった。そしてその開発の任を受けたのがダンテ・ジアコーザ。戦前にフィアットに入社し、トポリーノに始まり、当時のフィアットの中核をなすクルマを次々と作り上げた名エンジニアである。

しかも彼はメカニズムの設計にとどまらず、ボディデザインまでしてしまうところが凄いところで、フィアット1400などはその代表格。そしてその1400こそ、フィアット初のモノコック構造を持ったフラッシュサーフェスのモダンなクルマであり、それがアメリカ人に受けるクルマとして本来V8エンジンを搭載してアメリカに輸出されるはずのクルマであった。

しかし、出来上がったのは1.4Lの4気筒エンジンを搭載するミッドサイズセダンであった。とはいえ、V8エンジン搭載のプロジェクトが死に絶えたわけではなく、ダンテ・ジアコーザが設計したタイプ104と呼ばれたV8エンジンとタイプ106と呼ばれたシャシーは、フェラーリやマセラティに挑戦すべく、異なるプロジェクトとしてスタート。こうして完成したのが8Vだったのである。

中低速トルクがない8Vに手こずりながらも……

8Vとなった車名の由来は元来ストレートにV8と行きたかったところ、そのネーミングは当時フォードによって登録されていて使えなかったため、ひっくり返したといわれる。そしてフィアットらしいといえばフィアットらしく、排気量は小さく2Lに収めた。V8のアングルは70度、ウェーバーのツインチョークキャブを2基搭載し、初期型のパワーは105hpだったという。

博物館にあったのはどうやらこの仕様のようだった。合計114台(しか作られていない)が生産され、そのうち34台がフィアットのスペシャルボディ・デパートメントによるもので、デザインは当時フィアットのデザインディレクターだった、ファビオ・ルイジ・ラピによるもの。30台がザガートによって架装され、他にもヴィニャーレやギアなども異なるデザインのボディに仮装している

さて、このクルマ、「明日博物館の前に置いておくから」と言われ、翌日行ってみると本当に正面玄関の前に駐車されていた。同じくアバルト124スパイダーもである。そして手始めにというか最初に乗ったのがこのクルマだった。

行先はトリノヴァレンティノ公園。流石に古いクルマだし、博物館の展示車だしということで恐る恐るのドライブだったのだが、隣に乗るある意味お目付け役のイタリアンがとにかく飛ばせという。

バレンティノ公園までは結構な山坂があるから必然的に引っ張る必要があるのだが、如何せん2LのV8は中低速トルクがまるでない。だから早めのシフトアップではすぐにエンジンがぐずり始める。それを知っていて隣のイタリアンは「presto! presto!」と連発するのである。まあ意味としては「飛ばせ!」である。

挙句の果てにはシフトアップしようとする僕の右手を抑えにかかったりしていたので、やはり回転は上げないと駄目だったようだ。結局5000rpmあたりまで上げると調子よく走っていた。

実はこのクルマ、フィアットの公式な博物館のサイトを見たら、2012年にミレミリアを走っていてその時ドライブしたのはなんと、当時のFCA会長、ジョン・エルカン氏だったという。彼よりも先にこのクルマに乗れたというわけで、博物館のクルマを日本のいちジャーナリストに預けてしまう懐の深さを痛感したという次第である。

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ランボルギーニ「カウンタック」が破格の1125万円! 中身は399ccのエンジンを搭載した「キッズカー」でした https://jasma.org/%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%9c%e3%83%ab%e3%82%ae%e3%83%bc%e3%83%8b%e3%80%8c%e3%82%ab%e3%82%a6%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%83%e3%82%af%e3%80%8d%e3%81%8c%e7%a0%b4%e6%a0%bc%e3%81%ae1125%e4%b8%87%e5%86%86-2.html Sun, 26 Nov 2023 13:19:26 +0000 https://jasma.org/%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%9c%e3%83%ab%e3%82%ae%e3%83%bc%e3%83%8b%e3%80%8c%e3%82%ab%e3%82%a6%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%83%e3%82%af%e3%80%8d%e3%81%8c%e7%a0%b4%e6%a0%bc%e3%81%ae1125%e4%b8%87%e5%86%86-2.html 子どものためにつくられたクンタッチ、でも落札価格は・・・・・・
もともとは子どものために製作・販売されながらも、生粋の自動車愛好家の鑑識眼にも耐えうるように作り込まれた「ジュニアカー」が、れっきとしたコレクターズアイテムとして認知されて久しい。2023年11月4日、RMサザビーズ欧州本社がその本拠地であるロンドンの古城「マールボロ・ハウス」で行ったオークション、その名も「LONDON 2023」では、約40年前にランボルギーニ クンタッチ(カウンタック)を忠実に縮小するかたちで製作された、一台のジュニアカーが出品された。

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アゴスティーニ社は1980年代から90年代にかけて、ポルシェ911カレラ カブリオレやフェラーリ308GTS、あるいはフェラーリ テスタロッサなどのスーパーカーをモデルとし、約2/3サイズのジュニアカーとして開発。それぞれのメーカーとライセンス契約を結んだうえで販売していた。

その中でも代表作といわれるのが、クンタッチのジュニアカー。大人でも乗りこむことができるよう、オープンルーフとされるのがデフォルトだったようだが、そのほかにも子供限定ないしはガレージに展示するコレクターのために、ごく少数ながらクローズドルーフ版も製作されたという。

この出品車は、超レアとされる後者。アメリカの芝刈り機とその原動機のメーカー「ブリッグス&ストラットン(Briggs & Stratton)」社製の399cc・11psエンジンが搭載され、リバースギヤも組み込んだ2速オートマチックトランスミッションが組み合わされている。

また「リボルバー」ないしは「テレフォンダイヤル」と呼ばれるランボルギーニ純正のスタイルを正しく模した10インチのアロイホイールをはじめ、機能するヘッドライトとテールランプ+ウインカー、油圧式のブレーキ、独立サスペンション、MOMO社製ステアリングホイール、ホーン、そしてシートベルトにいたるまで、可能な限り本物のクンタッチに近づけているのだ。

クンタッチの人気はテスタロッサの3倍以上・・・・・・?

1995年、5歳の誕生日プレゼントとして現オーナーに贈られたとされる、このアゴスティーニ社製クンタッチ・ジュニアカーは、2023年9月に2000ポンドを超える費用をかけたレストアを経て、再就役したばかりとの由。その修復作業には、漆黒のボディをポリッシュしたほか、クリーム色のインテリアのディテールアップ。アロイホイールの改修にオイル交換、バッテリー、燃料ライン、燃料フィルター、スパークプラグの新品交換などが含まれていたとのことである。

RMサザビーズ欧州本社は、「このアゴスティーニ カウンタック ジュニアは、ランボルギーニの最もアイコニックなモデルの1台の走行可能なミニチュアを手に入れる素晴らしい機会を提供しています」という触れ込みを添え、10000ポンド~20000ポンドというエスティメートを設定する。

また、出品者サイドの望まない安価で落札されてしまうリスクもあるいっぽうで、会場の競争意識や購買意欲がヒートアップすることにより、あっという間に価格の跳ねあがる可能性もある「Offered Without Reserve」。すなわち、最低落札価格を設定しない競売形式とした。

ところが11月4日のオークションでは、おそらくは出品者ご自身も予期しえなかったであろう60000ポンド。日本円に換算すれば約1125万円という、エスティメート上限の3倍に及ぶ驚くべき価格で落札されるに至ったのだ。

蛇足ながら、アゴスティーニ・アウト社が1980年代に市販したテスタロッサ ジュニアカーは、2022年に日本の某人気お宝鑑定TV番組にも出品。その希少性と出来の良さを称えられるとともに、300万円という鑑定結果を受けている。

いっぽう、3倍以上の価格で落札されたこのクンタッチ ジュニアカーは、希少なクローズドルーフ仕様であることにくわえて、レストアから数カ月しか経ていないコンディションの良さなど、個体としてのアドバンテージがあったという可能性もある。

でも、それ以前にまずは本物の世界でも、ランボルギーニ クンタッチのほうがフェラーリ テスタロッサよりもアイコニックな存在であることを示しているかにも感じられてしまったのである。

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ランボルギーニ「カウンタック」が破格の1125万円! 中身は399ccのエンジンを搭載した「キッズカー」でした https://jasma.org/%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%9c%e3%83%ab%e3%82%ae%e3%83%bc%e3%83%8b%e3%80%8c%e3%82%ab%e3%82%a6%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%83%e3%82%af%e3%80%8d%e3%81%8c%e7%a0%b4%e6%a0%bc%e3%81%ae1125%e4%b8%87%e5%86%86.html Sun, 26 Nov 2023 13:19:25 +0000 https://jasma.org/%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%9c%e3%83%ab%e3%82%ae%e3%83%bc%e3%83%8b%e3%80%8c%e3%82%ab%e3%82%a6%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%83%e3%82%af%e3%80%8d%e3%81%8c%e7%a0%b4%e6%a0%bc%e3%81%ae1125%e4%b8%87%e5%86%86.html 子どものためにつくられたクンタッチ、でも落札価格は・・・・・・
もともとは子どものために製作・販売されながらも、生粋の自動車愛好家の鑑識眼にも耐えうるように作り込まれた「ジュニアカー」が、れっきとしたコレクターズアイテムとして認知されて久しい。2023年11月4日、RMサザビーズ欧州本社がその本拠地であるロンドンの古城「マールボロ・ハウス」で行ったオークション、その名も「LONDON 2023」では、約40年前にランボルギーニ クンタッチ(カウンタック)を忠実に縮小するかたちで製作された、一台のジュニアカーが出品された。

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アゴスティーニ社は1980年代から90年代にかけて、ポルシェ911カレラ カブリオレやフェラーリ308GTS、あるいはフェラーリ テスタロッサなどのスーパーカーをモデルとし、約2/3サイズのジュニアカーとして開発。それぞれのメーカーとライセンス契約を結んだうえで販売していた。

その中でも代表作といわれるのが、クンタッチのジュニアカー。大人でも乗りこむことができるよう、オープンルーフとされるのがデフォルトだったようだが、そのほかにも子供限定ないしはガレージに展示するコレクターのために、ごく少数ながらクローズドルーフ版も製作されたという。

この出品車は、超レアとされる後者。アメリカの芝刈り機とその原動機のメーカー「ブリッグス&ストラットン(Briggs & Stratton)」社製の399cc・11psエンジンが搭載され、リバースギヤも組み込んだ2速オートマチックトランスミッションが組み合わされている。

また「リボルバー」ないしは「テレフォンダイヤル」と呼ばれるランボルギーニ純正のスタイルを正しく模した10インチのアロイホイールをはじめ、機能するヘッドライトとテールランプ+ウインカー、油圧式のブレーキ、独立サスペンション、MOMO社製ステアリングホイール、ホーン、そしてシートベルトにいたるまで、可能な限り本物のクンタッチに近づけているのだ。

クンタッチの人気はテスタロッサの3倍以上・・・・・・?

1995年、5歳の誕生日プレゼントとして現オーナーに贈られたとされる、このアゴスティーニ社製クンタッチ・ジュニアカーは、2023年9月に2000ポンドを超える費用をかけたレストアを経て、再就役したばかりとの由。その修復作業には、漆黒のボディをポリッシュしたほか、クリーム色のインテリアのディテールアップ。アロイホイールの改修にオイル交換、バッテリー、燃料ライン、燃料フィルター、スパークプラグの新品交換などが含まれていたとのことである。

RMサザビーズ欧州本社は、「このアゴスティーニ カウンタック ジュニアは、ランボルギーニの最もアイコニックなモデルの1台の走行可能なミニチュアを手に入れる素晴らしい機会を提供しています」という触れ込みを添え、10000ポンド~20000ポンドというエスティメートを設定する。

また、出品者サイドの望まない安価で落札されてしまうリスクもあるいっぽうで、会場の競争意識や購買意欲がヒートアップすることにより、あっという間に価格の跳ねあがる可能性もある「Offered Without Reserve」。すなわち、最低落札価格を設定しない競売形式とした。

ところが11月4日のオークションでは、おそらくは出品者ご自身も予期しえなかったであろう60000ポンド。日本円に換算すれば約1125万円という、エスティメート上限の3倍に及ぶ驚くべき価格で落札されるに至ったのだ。

蛇足ながら、アゴスティーニ・アウト社が1980年代に市販したテスタロッサ ジュニアカーは、2022年に日本の某人気お宝鑑定TV番組にも出品。その希少性と出来の良さを称えられるとともに、300万円という鑑定結果を受けている。

いっぽう、3倍以上の価格で落札されたこのクンタッチ ジュニアカーは、希少なクローズドルーフ仕様であることにくわえて、レストアから数カ月しか経ていないコンディションの良さなど、個体としてのアドバンテージがあったという可能性もある。

でも、それ以前にまずは本物の世界でも、ランボルギーニ クンタッチのほうがフェラーリ テスタロッサよりもアイコニックな存在であることを示しているかにも感じられてしまったのである。

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